新炭里編 (2004.9.10)
鎮海編の次の蔚山編までが2ヶ月。そして今回は実に3ヶ月ぶりの「遠くへ行きたい」ということで。多分次回は4ヶ月後だな。うん。
さて、3ヶ月ぶりに重い腰を上げて向かった先はソウルから北に向かう京元線の終点の新炭里。本来はソウルと元山を結んでいる路線だが、南北分断により新炭里が終点となっている。今回はこの新炭里から軍事分界線付近を回るツアーに参加することと、鉄道分断点を見に行くことが主目的だ。
ツアーは新炭里駅前を毎日12時に出発する。これに参加するためには議政府を10時20分に出る列車に乗る必要がある。京元線は1時間に1本の割合で、この列車を逃すと単に新炭里を往復するだけのつまらない旅行になってしまう。どんなことがあっても10時20分の列車に乗らなくてはならない。
そう思って議政府まで行ったのはいいんだけど、着いた時点で3分過ぎていて見事に乗れず。そんなわけで今回は1週間ぶりに雪辱を晴らす旅となった。早起きすればいいだけなんだけどな。
■左:議政府駅 ■右:新炭里行きディーゼルカー
先週の教訓がいかされず、今回もぎりぎりに家を出る。地下鉄1号線に乗って議政府に着いたのは10時10分。窓口でチケットを買って列車に乗り込むと5両編成の列車はすでに満席。ローカル線だと思ってちょっと甘く見ていた。文句を言ったところでしょうがないのでおとなしくつり革につかまっておく。座ってしまうとどうせ寝てしまうので立っていくのもありだろう。ところで途中で幼稚園児の団体が乗ってきた。うるさいことこの上なし。しかも、席に座っていたおばさん連中はみんな子どもに席を譲ろうとする。引率の保母も最初は「大丈夫ですよー」とか言ってたくせに、気がつくと席のほとんどが子どもに占められてしまった。座れなかったガキは床にそのまま座る。オレはなんかガキの集団の中に取り残され居心地が悪い。床一面に足の踏み場もなく敷き詰められたお子様たち。列車の揺れに一歩足を踏み出すとガキの足踏んじゃうし、それで慌てて足を上げたらガキの後頭部にひざ蹴りくらわしちゃうし。つーか、これはオレが悪いんじゃないよな。
おとなしく車窓風景でも見ておく。
議政府から3駅目の東豆川は米軍基地の街。車窓から見える風景は一山や盆唐のようなニュータウンっぽい感じ。軍用地もちらほら見える。そこそこの規模がある街なので乗降客も結構多い。東豆川を出てしばらくは沿線に米軍相手のお店が軒を連ねる。ハングルの看板よりも横文字のほうが目立つ。
お子様の団体は漢灘江で降りていった。席に座ってようやく落ち着く。車内に残ったのは登山客とおぼしき一団。車窓はのどかな田園風景。11時38分に新炭里に到着した。
駅前は売店や食堂がポツンとあるくらいで何もない。駅を出て左に行くと、「安保観光」と看板のかかった小さな事務所がある。ここでツアーを申し込む。本当は予約をしておいたほうがいいらしいのだけど、平日だから大丈夫だろうと高をくくって行った。「すいません、予約してないですけど、安保観光は参加できますか?」「大丈夫ですよ。お名前は?」で名簿に名前を記入して手続き終わり。パスポートのチェックもなにもなし。料金は1万3000ウォン。7年前に来た時は3万ウォンくらい払った記憶があるのだが。都羅山でのツアーも安かったし、たぶん安保観光には国の補助でもあるんだろうなぁ。
■左:新炭里駅 ■右:駅を出るとこんな感じ
出発までは15分ほど時間があるので駅前の売店でパンを買っておく。多分、道中でメシを食えるところはない。時間が来たのでマイクロバスに乗り込む。きょうの参加者はオレを含め7人。日本人はオレだけ。事務所で手続きしたおじさんが運転主兼ガイド。インカムつけて案内してくれる。人のよさそうな運転手は日本語もできるので希望すれば日本語でも案内してくれる。
出発すると車窓右側に京元線の線路跡が見え赤錆びた鉄橋も見える。まず向かったのは白馬高地なるところ。朝鮮戦争の大激戦地となったところで、慰霊碑や記念館がある。バスを降りて慰霊碑の前でガイド(運転手)の説明を受ける。いちばん奥には鐘があり、その先の展望台からは非武装地帯が見える。
■左:白馬高地戦勝費 ■右:慰霊碑と記念館
バスに戻り次に向かうのは労働党舎。この付近は鉄原という街で、朝鮮戦争当時まではそれなりに栄えたところ。しかし朝鮮戦争では鉄の三角地帯と呼ばれるほどの激戦地となり、今では当時の面影はまったくなくなるほど。いくつか残った建物のうち代表的なものがこの労働党舎。解放当時はこの付近は北朝鮮側が支配しており、イデオロギーの対立によりこの建物では多くの人たちが拷問や虐殺の被害にあった。今でもこの建物の裏からは人骨が出てくるという血なまぐさいところだ。説明によると建物はソ連様式だという。廃虚と化し建物には弾痕が生々しく残っている。以前は建物の中に入れたのだが、今は周囲が柵で囲われて入ることはできない。そもそもこの建物は鉄筋が入ってないので大人数で2階に上がるとかなり危険だと思う。
■左:労働党舎 ■右:裏側から
労働党舎を見た後は第2トンネルなるところに行く。都羅山からのツアーでも同様のものを見ているが、あれは第3トンネル。検問所の前で別のツアーの観光バスが連なっていて、その後ろについていく。警備の関係上、1台だけの単独でコースをまわることはできないらしい。我が運転手が言うには、「あっちのツアーはだめだね。白馬高地とか行ってもさ、ガイドがよくわかってないのよ。説明もなにもありゃしない。みなさんこっちのバスに乗って正解だよ」。そういうもんかなぁ。
駐車場から他のツアーの人も含めて列を作ってぞろぞろとトンネル入り口に向かう。トンネル内は撮影禁止。第3トンネルはトロッコのようなものに乗っていったがこちらは歩いて降りていく。トンネル内は天井が低いので常に前かがみの姿勢で行く。時々油断して思いっきりヘルメットにむき出しの岩が当たる。ヘルメットなかったら頭から血を流して死んでたかもしれない。
最前線まで行く。この先は数百メートルで北朝鮮領になるという。第3トンネルとそれほど変わったところもなく、「ふーん」と一瞥くれてそのままもと来た道を引き返す。トンネル入口にはお約束の安保展示館があるのだけど、展示物はかなりしょぼい。そのまま駐車場に戻りしばし休憩。
全員戻ってきたところで、次の目的地である月井里駅に向かう。ここは軍事分界線のぎりぎり手前のところに設けられた安保教育用の公園。展望台などもある。観光バスで訪れた小学生の集団と一緒に展望台の講堂に入り職員の案内を聞く。なんか甲高い声でしゃべるおねいさん(というかおばさんっぽかったけど)のおかげで耳が痛い。説明が終わったところで展望台を出て月井里駅を見に行く。この駅は京元線にあった駅を復元したもの。でも本当の駅は軍事分界線の向こう側にある。建物を復元したのはいいけど、中身はすかすかでちょっと拍子抜け。ホームには駅名標があるが、これも往時を偲ばせるようなものではなく、明らかにテキトーに作っただけ。ホームの向こうには列車の残骸。これは本物で、朝鮮戦争当時に爆撃を受けたものがそのまま展示されている。のだが、はじっこの方に明らかに新しいディーゼル機関車が置いてあるのが気になる。基本的に韓国の展示物は考証が甘いというか、子どもだましなものが多い。なにかを期待して来たわけではないが、なんかがっかりするんだよなぁ。
■左上:月井里駅 ■右上:その内部
■左下:列車の残がい ■右下:月井里駅全景
さて、これで見るべきものはすべて見た。バスは新炭里に向かって走る。途中では鉄原の街に残った廃虚をいくつか通り過ぎた。そして当時の鉄原駅跡も通り過ぎた。京元線の鉄原駅からは金剛山に向かう私鉄が出ていて、往時はかなりにぎわったらしい。駅も駅員80人を抱えたそれなりの規模を持つものだったという。しかし現在ではその痕跡はなにもない。そこに鉄原駅があったことを示す看板が立っているだけ。
■車窓から見える鉄橋跡
ツアーの予定時間は4時間30分。12時に出発したので16時30分には戻れる計算だ。新炭里からの列車は毎時0分発なので、17時の列車に乗るつもりだった。しかし、ツアーは思いのほか早く終わってしまい、新炭里に戻ったのは15時30分。これなら予定より1時間早い16時発のに乗れそうだ。
時間があるので駅の先にある鉄道分断点まで行く。駅を出て右側の通りを歩いていくと踏切に出るのでそこから線路内に進入して5分ほど歩けばそこが分断点。昔はもう少し趣のある看板が立っていたのだけど、今の看板はなんかカッコ悪い。正直なところ、臨津閣にしろ都羅山にしろ、分断関連の観光地化は失敗してると思う。なにがしたいのかさっぱりわからない。ちなみに複数の韓国人の友だちに聞いたところ、「安保観光? そんなのガキのころに行かされたっきりで、大人になってからはいかないね」とのこと。しょせんは大人向きのアトラクションではないんだろうね。ならば子どもだましでもいいのかな。分断国家の痛みなどこれっぽっちも理解できない日本人が勝手に論評するのもどうかと思うけどさ。
■左:鉄道中断点 ■右:その看板
ツアーにも参加して2万ウォンでお釣りが来た。夕方にはソウルに戻れるし、日帰り旅行には手ごろな感覚で行けるかも。列車に乗って1時間ちょっとで議政府駅に到着。帰りは例によってぐっすり眠りこけていた。終点の議政府に着いたら車内は立ち席も出るほどの乗車率。意外に利用者が多いのにびっくりした。
主な出費 議政府→新炭里往復 2,800ウォンツアー参加費 13,000ウォン雑費 3,000ウォン合計 18,800ウォン